1週間前に開催いたしました、阪南ノスタルジー・井戸端α(アルファ)へのご参加とご協力ありがとうございました!
尾崎公民館・中央公民館まつりと同日開催でしたが、朝から多くの方に来場していただきました。
阪南市の水野市長を始め、市議会議員の方も多く来場していただき、多くの方がその当時の阪南市の話を、まるで昨日の出来事のように話をされていらっしゃったのが印象的でした。
来場された方の中には、「おばあちゃんから聞いて見に来ました」という若い世代の方もご来場いただきました!
どの写真も盛り上がっていましたが、泉南清掃の写真をご覧になった皆様が、「ミゼット!大村崑がCMしていたのよ~!」とお話しされているのも印象深かったです!
(調べてみると、ダイハツのミゼットはその当時、テレビコマーシャルを活用した広告をしていたようで、その内容も含めてベストセラーの車になったようです)
阪南ノスタルジーにて展示されていた、昭和30年代の阪南市の地図(中澤洋氏作成)は夢プラザ内に展示しておりますので、お近くにお越しの際はぜひご覧ください!
今回は、
・阪南市の生涯学習推進室から写真の提供
・市民の方から写真データの提供・資料の貸出
・市民の方が作成した阪南市の昭和30年代の頃の地図の提供
・阪南市立図書館から資料の貸出
以上の4点から展示を行いました。ご協力いただきました皆様、ありがとうございます!
🌟10月23日(日)開催 井戸端α(アルファ)
夢プラザで150回以上開催している井戸端会議ですが、今回からテーマを設けて行う『井戸端会議α(アルファ)』を開催しました。
登録団体の回想法スイートピーさんのご協力のもと、展示している写真の当時の尾崎の町を語る場に、回想法スイートピーの会員の方も含めて、多くの方の参加がありました。
回想法スイートピーさんからは、回想法とはなにか?回想法を行うことでどういった効果が得られるのか?という話がありました。
多くの写真のデータをご提供いただいた松井さんにほお話しいただきました。
地図を作成された中澤さんからは、その当時の尾崎小学校・尾崎町のお話を伺いました。
【今回の井戸端会議αで話題に上がった一部をご紹介します】
●尾崎小学校は、一度建物ごと別の場所に引っ越していたことがある。
●尾崎駅山側は田んぼだった。(養豚場や養鶏場もあった)
●尾崎駅山側に道路が出来て、役場や銀行ができた。
●以前の南海町公民館は映画館「翠座」があった。←駅下の町名「緑町」が由来
●現在のauのある場所に尾崎センターという現在のスーパーのような場所ができて、各地域に無料のバスを走らせていた。
●現在の万代は、以前は南海デパートがあり、様々なお店が入っていた。
●えびのに演芸座があった。
●現在の市役所前のコンビニは少し小さいオークワがあった。(昭和49年3月にオープン)
●海側にあった警察署や銀行が山側に移り、経済の拠点が山側に移っていった。
●高架になる前の尾崎駅は、駅改札道路に踏切がなかった。
●中学校は鳥取中学校しかなく、電車に乗って尾崎駅まで行って通学していた。
お話を伺うと、昭和から平成でも大きな町の変化があったことが分かりました。
『井戸端会議α(アルファ)』は、今後は阪南市のほかの地域をテーマに開催していく予定です。
今後の予定は夢プラザのホームページか、阪南市の広報にも掲載いたしますので、ご興味のある方はぜひご参加ください!